東部がお届けするインフォメーション・レター

Vol.762016年12月号

PICKUP.1今年も一年、誠にありがとうございました。

2016年~2017年の主な取組

2016年

4月 ・JR東日本旅客鉄道株式会社
 e-pile next 鋼管杭工法
 支持性能評価申請
5月 ・e-pile next 鋼管杭工法
 製品製造加工/ロボット溶接機械の導入
10月 ・e-pile next 鋼管杭工法
 国土交通省「NETIS」登録
11月 ・e-pJ 鋼管杭「無溶接継ぎ手」
 性能実施試験完了
12月 ・日本車輌製造DHJ-25sp
(ハイパワ-機種)導入
・業務拡張により相模原機材センタ-移転
 新・機材センタ-開設(約1.800㎡)
 相模原市緑区町屋1-4-37201

2017年

・e-pJ 鋼管杭「無溶接継ぎ手」評定取得
・e-pilenext 鋼管杭工法
 杭頭○○○○○○技術開発
・自立式擁壁YOSAKU工法
 性能試験実施

PICKUP.2経理マンが行く無礼講の意味

 先日は54年ぶりに11月に初雪が降りましたが、それ程交通機関も乱れず良かったですね。これも温暖化の影響だそうなので今後も気候に注意が必要になりそうです。

 さて、いよいよ忘年会シーズンとなりました。あちらこちらからお誘いも多くなる頃です。それにしても忘年会とは、どの国にもあるのでしょうか?実は日本だけの行事だそうで他国はそのような催しはないそうです。では、いつ頃から忘年会が行われたのでしょうか。日本初の忘年会は鎌倉時代、年末に行われた『年忘れ』と呼ばれる会が起源です。しかし、この会は歌を読むのが目的で、現在行われているような忘年会には程遠いものだったようです。 現在の形に近くなったのは江戸時代になってからで、一般庶民が一年間の憂さを晴らすために親しい者と年末に酒を酌み交わすようになったのが始まりと言われています。一方、武士は『新年会』は開きましたが『忘年会』は開かず、これで町民との身分の違いを見せたといいます。今のような飲み会型の『忘年会』が年中行事化したのは明治時代で、故郷に帰らず、東京に残った学生と官僚が始めたのが行事化したそうです。学生は年の初めに故郷に帰るので年始は集まりにくく、官僚の方はボーナスが出て懐が温まっているところに御用納めになるので、それならいっそついでに飲もうかというのが忘年会の初めとなりました。

 会社などの忘年会では様々な方がお見えになるので気を遣いますが、その際「無礼講でいこう」などと言いますね。現代ではその意味を、身分・地位の上下を抜きにして、楽しもうということで使っています。念のため辞書を引くと、「貴賎・上下の差別無く礼儀を捨てて催す酒宴」とあり上下関係を忘れて飲むことの意味では今の通りの使い方で間違いありません。「無礼講」は後醍醐天皇が鎌倉幕府(北条氏)を倒す意思を探るために催した遊宴に由来するようです。その席では内容が外に漏れない様身分関係を抜きにしてハメをはずした酒宴でしたがもちろんこれは世をあざむく為の宴にかこつけた協議の場でした。毎日続く常識や礼儀をを欠いた酒宴の様子に驚いた人々がそれを「無礼講」と呼んだと言われます。では何故無礼なのでしょうか。

 平安時代の公家社会の宴席(現代の公式の宴席でも同様)では席順が偉い順に決まっていました。公家は一度その座に坐ると、決して他の座席に移ることはしません。
ところが、そう言ったしきたりを無視して後醍醐天皇たちは席を立ち酌をしたので無礼講と言うようになったと言うことです。ですから今もよく言われるこの「無礼講」の元々の意味は、「本来座席を立ってはならない参加者が席を立ち、酌をすること」を言いました。

 会社の宴会とか接待などに見られる、あの挨拶代わりのお酌です。許しも得ずに上の座席ににじり寄るわけですから、これは無礼以外の何物でもなく、だからこそ「無礼講」と呼ばれるわけです。ですから飲んで羽目をはずし上司にタメ口を聞いたり会社の悪口を言ったりしても許されると言う意味じゃありません。
もともと“無礼講”は、偉い人が、“家来の本心を探るため”に考え出した“智略”だといわれています。無礼講で失礼にあたる事をすれば上司らに「あんな人だったのか」なんて思われるだけで何の得にもなりません。無礼講でも、自分の立場をわきまえ、ある程度の理性を持って行動することが大切です。

 ですが、席を立って上司や先輩にお世話になりましたとか、よろしくご指導くださいと酒をついで廻るのは本来の無礼講の意味ですから大いにやってくださいね。

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